〔nooog〕

ちっちゃくまとまんなってことよ。

最初は1週間かかっても、一度できるようになれば10分でできるようになる。閾値(しきいち)を高く設定して、そこに粘り続ければ必ずセンスは磨かれます。これは、デザインに限らずどんな仕事でも同じなんじゃないかな。

「やりたいことが分からない」と嘆く学生さんはとても多いです。僕自身もそうでした。でも、それは自分の手に「スキル」という「世の中を見るレンズ」がないからかもしれません。社会に出て、何らかのスキル—営業でも、経理でも、マーケティングでも—を身に付ければ、世界の見え方は変わるかもしれません。 自分ごととして、どうしても解決したい課題に巡り会えた時、仕事は一気に楽しくなります。お金のために働くのではなく、自分のために働けるようになります。

また誤摩化された。

いっつもそうだ。

”ごめんね”

で済ませるんだ。

ずるい。

taromatsumura:

「「ふつうの格子構造など、ほかの形はいろいろ考えられる」とバーテルミー氏は言う。「われわれが驚いたのは、異なった大陸にあり、それぞれ異なった歴史や地理的条件を持つそれぞれの都市の地下鉄が、皆同じ構造になっていることだ」」
(via 世界の地下鉄網は「同じ形」:ネットワーク分析で判明 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム)

taromatsumura:

「「ふつうの格子構造など、ほかの形はいろいろ考えられる」とバーテルミー氏は言う。「われわれが驚いたのは、異なった大陸にあり、それぞれ異なった歴史や地理的条件を持つそれぞれの都市の地下鉄が、皆同じ構造になっていることだ」」

(via 世界の地下鉄網は「同じ形」:ネットワーク分析で判明 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム)

(tutshieから)

>大半のアメリカ人は「カスタマーサービス・イズ・デッド」(顧客向けのサービスは死滅した)
 
小売に未来はないってこと?

»181 
これは結構年行っているアメリカ人から聞いた話なんだけど、

昔のアメリカって今の日本と同じで「お客様は神様」「良サービスで競え」が
当たり前だったみたいなんだって。

それこそ1950年代・1960年代、アメリカの経済が好調で、クルマも芸術品並のクォリティー、
電化製品も全部まだアメリカで生産されていた時代。

ほとんどの日本人がアメリカに来てない時代だ。だから多くの日本人が知らなくても当然かもな。

でも1970年代・1980年代になると日本から安くて質のいいものが大量に入ってくると
アメリカ製品は売れなくなったんだ。それこそ今の日本が

チョン製・中国製に押されているみたいにな。

いくらクォリティー高くても安さには勝てない。だからどんどんコスト削減しなくてはならない。
あのムダ減らせ、これを減らせ、アメリカ人雇わなくても

メキシコに工場立てればいいじゃんとかな。

しまいには顧客サービスにもしわ寄せがきたんよ。安く売りたいけどサービスは切り詰めたくない、
それを亡くすと他の会社に取られちゃう・・・。
でもしまいにはそれも破綻。サービスなんかクソっ食らえ、

こんな安く切り詰めた給料でなんでそこまで
客にペコペコしなければならん?どうせ客はアメリカ製品なんか買わない、

安いジャップ製品買うんだろ?

次々とそんな流れになっていき、

他社もサービス維持するのアホらしくなった。ただのムダ、足カセにしか
ならないと気づき始める。あの会社サービスやめた、うちらも、うちらも。

最終的にどこもサービスやめた。

 
よって「カスタマーサービス・イズ・デッド」。サービス期待する方が悪い、
どこいってもサービスないんだからどこでも一緒だよ。


中学生は誰もが興味津々で英語を習い始めるのに、どんどん分からなくなる。最初にぶち当たる壁が「比較級」だ。

good-better-bestとくれば、どれが一番いいかといえば、bestで次はbetter、最後はgoodだと覚えて、ようやくすっき分かったと思っている人が多いが間違いだ。

英米人の感覚からすれば、一番いいのはgoodだ。goodは「よい」という意味で、意味の通り絶対的によいのだ。それを比較してはじめてbetterという概念が出てくる。だから、何と比較するかでbetterの程度が決まる。bestはその比較を色々した中で人間が決めた最高のものというわけで、言葉の上では絶対的によいgoodにはかなわない。本来goodとbestは比較できる概念ではない。

我々の感覚からすればbestは最上級だから、これ以上のものがあったらおかしいのに、英語の教科書には友人を紹介するとき、one of my best freiends (最もすばらしい友人のうちの一人)と理屈が合わない言葉が出てくる。最もすばらしい友人なら一人のはずなのにと割り切れないまま英語がどんどん自分の感覚から遠のいていき、「現在完了形」が出てきたときに完全に理解不能になり、英語ができない日本人に埋もれていく。

「自分に合った仕事」を探すために、自己分析をせっせとやらされる学生たちを目の当たりにすると、少しばかり気の毒になる。だって、たった20年ちょっとの人生を振り返って自分史を作らされ、自分自身が認識している自分と他人から見た自分とのギャップを知るために「他己分析」をやってもらい、「自分のいいところ探し」をしたつもりが、「自分のいやなところ探し」になってしまう例が少なくないのだ。